・流行すると、日本ではおよそ2年でレイトマジョリティまでコンテンツは流通する
・この時に当の本人が忙しくなると、コンテンツのアウトプットの質が下がる
・一人のコンテンツを3から5個消費すると、だいたいの人はお腹いっぱいになる
こうなると、もうそれは見るからに北田暁大(社会学者)さんの言う「繋がりの社会性」と言うか。簡単に言えば、議論の中身ではなくて陣営帰属がまず決まって、そのあとの誹謗中傷合戦という田舎の田吾作の作法にインしてしまっているので、話にならないということですよね。脱原発問題についてもそういうふうな、ある種の振幅・レンジの幅が見られるわけですよね。似たようなことは、いろんなところにあるわけですけど。

宮台: 僕は「”終わりなき日常”は終わった」という議論が(作家の)猪瀬直樹さんとかから出てきた時に「もうだめだ」と思ったんですね、はっきり言って。『読書人』のインタビューの時に、僕は爆笑したんです。総力戦研究所のシミュレーションの話とかしているあの猪瀬さんが、戦後と戦前の継続性について知らないはずはないわけですよね。

例えば日本には「ロジスティクス」という概念は存在しないので、レイテ島戦では90%以上が餓死している。インパール作戦でも同様ですよね。実は誰もが武器弾薬どころか水も食糧も補給もないところで戦えば作戦失敗することは知っているわけで。陸軍参謀本部の連中だって分かっているわけですけれども、極東国際軍事裁判等でそういうことは問われると、「自分には権限はなかった」とか、「今さら止められないと思った」とか、「空気に抗えなかった」とかって話になるんですよね。

これは「原発・原子力村」と人々が呼んでいるものの動きとまったく同じものであり、そこにはまったくその継続性しか存在しない。やはり敗戦のようなことがあると、これから新しい時代が始まったという議論が出てきたりとか。なにか震災があると大挙して、ポトラッチあるいは寄付、あるいはボランティア的なことが起こるということも繰り返し繰り返し今まで起こってきているのであって。この福島の原発を引き起こした震災程度のことで、「終わりなき日常が終わる」ということが、まずあり得ないんですよ。歴史的に考えてみてね。まずその歴史を勉強してきているはずの方々が、一体どういう感覚をしているんだということを、まず僕は非常に強く思いました。

大塚: だから、地震が起きた直後には「新しい日本が始まるんだ」みたいな感覚ですよね。それが結局、これも安政の地震の時と同じで、要するに日本のフォークロア(古くから伝わる風習)は、1回地震が起きたり、あと百姓一揆が起きちゃったらば、そこで1回チャラになって、そこでリセットして陸地をまたゼロに戻して、またやり直していくとなったらまたチャラですよっていうね。その繰り返しでしょう。

宮台: そういうことができる(ジャリンコの新聞記者が、名刺一つで仕事できる)国っていうのは、実は日本以外にはまったく存在しないに近いんですよ。(アメリカでは)基本的には、地方からだんだんと中央に出てきて、最後にワシントン・ポスト紙やニューヨーク・タイムズ紙に行く。それは中国もまったく同じシステムですよね。(アメリカでは)政治家もそうで、村長や町長から始まって、あるいは市議会議員になったところから始まって、州知事を経て、あるいは上院議員になり下院議員になり、そして大統領になる。こういうルートがまず基本的なんですよね。実際、中央政府の議員になるとか、議長になるということは、それだけである種の実績を積んできたことの証であるし。実績を積んできたことを前提とした議論がなされる期待が人々にあるわけだけれども。

日本の場合、政治家にそういう実績による信頼醸成なるものは、実はまったくないので。単に「今まで通りやってくれりゃいいんだ」みたいな。政策的な頭・能力を、まったく期待をしないような、簡単に言えば、政治家に対して「既得権益を温存してくれりゃいいんだ」というだけの期待だけで政治をやってきているから、世襲議員も放置されてきていたし、選挙区の不平等問題もずっと放置されてきていたし、あるいはなんとかチルドレンという本当のチルドレンが議員になる愚昧な事態も完全に放置されてきているわけで。党を問わず、日本の中央の議会は、本当に人材乏しいんですよね。烏合の衆の集まりとしか言いようが無い状況で。それ自体は別に問題じゃない。彼らが悪いわけじゃなくてね。このようなシステムが、「なぜ放置されてきたか」というところに、やはり問題があるわけで。僕はよく思うんだけど、そうした議論は僕が初めて言ったわけではなく、戦後60年ずっと言ってきているわけですけれど。それを言ってきたのが一部の論壇手なわけだけど。日本は「べき論」では絶対変わらないんですよ。「何とかするべきだ」って、まだ言ってる人たちはいるし。最近では『WEDGE』(ウェッジ)っていう雑誌が大笑い状況で(笑)。

大塚: 新幹線のグリーン席においてあるやつですね(笑)。

宮台: そう(笑)。僕もグリーン車に乗ったときに、本当に爆笑させていただくので。本当に愉快な娯楽誌になったと思いますけれども。つまり、ああいうレベルのものが論壇と呼ばれていて。このニコ生も『ニコ論壇』と呼ばれているの、どうなのこれ? 大丈夫なのか?一体。こんなところで「べき論」なんか話したって変わりゃしないから。もう、さっき大塚さんと3分ぐらい話したたけで「もういいんじゃないかな」っていう気になっちゃったんですけどね(笑)。

「実は、首都圏3000万人の避難も考えたんです」というような物言いがなぜ恥ずかしいかというと、3000万人の移動など実際には不可能なのに、堂々と口にするからだ。いったい3000万人をどうやって、どこに避難させるというのだろうか。また人がいなくなった東京の治安をどうやって守るつもりだったの
— 村上龍・著『櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。』(KKベストセラーズ刊)
わたしは、もちろん梶井基次郎の作品に好感を持っていた。だが、実際に自分が作家になってからは、梶井基次郎の繊細で閉ざされた世界から何とか脱却しなければいけないと思い、細密画のような心象風景を捨てて、「物語」を構築する方法を選んだ。だが、どんな作家にも、梶井基次郎と共通するものがある。
— 村上龍・著『櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。』(KKベストセラーズ刊)
burnworks:

A picture of the eclipse 2012 from the nasa.

beautiful!!

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