メルレポ 2012年1月9日号(通巻第009号)
1 month ago本日の担当者 檀原照和
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■お尻の下 第2回
檀原照和(第6号で「牛に関する誤解を解いておくよ」執筆)
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椅子はあなたを待ち構えている。「空いている座席に座る」。なんて危険な。ぽっかり口を開けた座面の虚空は、人間をおびき寄せる撒き餌。巧妙な椅子の罠だ。
ここで分かりやすい例を示したい。知る人ぞ知る「死を招く椅子」の話だ。
英国の北部、ノース・ヨークシャー州サースク(Thirsk)に、一軒の宿がある。二階建てでこぢんまりしたそこは典型的な B&B(Bed and Breakfast)スタイルの旅館で、外見に特異な点はない。この宿を特徴付けているのは、その歴史である。
いまから300年以上むかし。この町にトーマス・バズビー(Thomas Busby) という男がいた。ずいぶん遠い話なので、バズビーの職業ははっきりしていない。彼はダニエル・オーティー(Daniel Auty) の娘エリザベスと結婚し、義父から愛用のウインザーチェアを譲り受けた。欧州、とくにイギリスでは何代かにわたって受け継がれた古い家具を所有することが、自慢の一つになる。義理の息子に椅子を送ったというのは、そういう文脈に沿った行いだった。あまり知られていないが、じつは欧州でさえ庶民の間に椅子が普及したのは、19世紀に入ってからだ。「椅子を送られた」というのは、18世紀当時、たいへんなことだった。
座具によって自己イメージや身体感覚は変化を遂げる。バズビーは変わった。日がな椅子に座り、酒浸りになった。原因もはっきりしないまま、義父をハンマーで殺害。1702年に絞殺刑となった。バズビーの亡骸は吊るされたまま見世物にされ、“Busby Stoop Road” (バズビーが吊された道)という地名が残った。
それから250年後の1952年。絞首台の跡地の向かい側に、“THE BUSBY STOOP INN”がオープンした。これが冒頭の宿である。ここには、バズビーの妻が手放した例の椅子が置かれていた。
地名にまでなった殺人犯所縁の椅子である。パブも併設したこの宿の名物になり、面白がって座る酔客が絶えなかった。この話の興味深いのは、ここからである。