イギリス─特にスコットランド─では、教区牧師の家に生まれた子弟が立派な政治家になることが多いと言われている。これは宗教教育と家庭教育の重複した影響によるものであろう。(日本にもかすかながらそういう傾向がある。)しかし残念なことには、日本では政治教育の環境は絶望的に悪い。それは日本人が天皇制に支払った代価であるのかも知れない。天皇に対して異を唱えてはならないという至上命令の下で、案出し得る政治的プログラムは限られているからである。高等教育をどのように改革して、どのように才能の優れた官僚、会社員、文化人が育てられたとしても、政治家の質が悪ければ、その国は尊敬されることはない。しかもこれからの時代は、家庭教育は両親でなくテレビ局によって行なわれる。日本のテレビ番組は視聴率極大の原理によってつくられ、極めて娯楽的─しかも品の悪い─である。そのような状態の下で、立派な政治教育が、今後日本で行なわれるとは考えられ難い。

 徳川末期に欧米の使節が日本にきて日本人に下した採点は、文化的にも経済的にも程度は高いが、政治的には無能であるということであった。そして彼らは、朝廷も幕府もともに世襲だから日本はいつまでも政治的に幼稚なのだと判定した。幕府はつぶれた。朝廷もシンボルだけの役割しかしなくなった。そして徳川末期に世襲制であったものは、最大限に打破してしまった。にもかかわらず、日本は依然として、政治的に無能であることを世界にさらけ出している。そういう意味で一九九八年末は徳川末期とほとんど変わることはない。

 しかし人は言うかもしれない。今でも政界は、二世議員が示すように、世襲ではないか。

世襲だから悪いので、世襲でなくすればよくなるのではないか。確かにそうであるが、世襲状態が続いているのは制度の故ではなくて、そういう状態を打ち破る勢力が、既成政治グループの外に現われてこないからである。それは政治グループのせいではなくて、政治グループ外の人の政治的無気力のせいであろう。政治が悪いから国民は無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。

 こういう状態は、今後五〇年近くは確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないということである。それでも「ええじゃないか。ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ。

— 森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』岩波現代文庫 2010年