こういうことを言うと、お前は作句の経験がないからだという人がきっとある。そして『俳句のことは自身作句して見なければわからぬものである』という(水原秋桜子「黄蜂」二号)。ところで私は、こういう言葉が俳壇でもっとも誠実と思われる人の口からもれざるを得ぬというところに、むしろ俳句の近代芸術としての命脈を見るものである。(略)十分近代化しているとは思えぬ日本の小説家のうちにすら、『小説のことは小説を書いて見なければわからなぬ』などといった者はいない。ロダンは彫刻のことは自分で作ってから言えなどとはいわなかったのである。映画を二三十本作ってから『カサブランカ』を批評せよなどといわれては、たまったものではない。しかし、俳句に限っては、『何の苦労もせずして、苦労している他人に忠告がましい顔をして物を言うことはないと思う』(秋桜子、同上)というような言葉が書かれうるのは、俳句というものが、同好者だけが特殊世界を作り、その中で楽しむ芸事だということをよく示している